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天才の定義とは。 [音楽]

先の記事で、筋肉少女帯を取り上げました。

ライブも見に行ったことがあります。何かのフェスで筋少が目当てではなかったのですが、「元祖高木ブー伝説」もやっていて、やはり印象は濃かった。

その当時は熱心にライブにも行き、音楽雑誌も目を通していました。古本屋で好きなバンドの記事の雑誌が出ていると買って読んだりもしましたね。その中に、筋少の大槻ケンジさんのインタヴューもあり、インタヴューイが大槻さんのことを「天才ですね!」とほめちぎると、

「天才なら浪人してないです」

と大槻さんがしみじみとご回答なさっていました。

ではまた!

仏陀L(紙ジャケット仕様)

仏陀L(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: トイズファクトリー
  • 発売日: 2009/07/22
  • メディア: CD


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異常な愛情、バクチク。番外編 泉の精霊。 [音楽]

好きな童話にこんなのがあります。

むかしむかし、大変貧乏なきこりがおりました。まじめに仕事をし、きこりの腕もなかなかなのですが、満腹になるほどご飯が食べたのがいつだったか、思い出せないほど貧しかったのです。夜になっておなかの虫がぐうぐう言いだすと、「明日も早いから、寝てしまおう」と言うしかないほどでした。それでも、商売道具のオノが少しでも刃こぼれがあったりすると、空腹に耐えながらていねいにとぎ、道具の手入れを怠ることはなかったのです。

ある日、こんこんとわく泉のそばで、木を切り倒していました。どうしたはずみか、大事なオノが手から滑り落ち、泉へぼちゃんと落ちてしまいました。あわてて、泉を覗き込むと、意外と深くどこにオノが落ちたか、まるでわかりません。

途方に暮れて、きこりが泉のそばでしょんぼりとすわりこんでいた時のことです。

泉の水面が激しく揺れると、水しぶきとともに、世にも美しい女性がキラキラと光る水色のドレスをまとって浮かび上がります。おどろいて声も出ないきこりに、鈴を振るような可憐で美しい声でこう尋ねます。

「わらわはこの泉の精霊。どうしたのかえ?」

きこりは思い切って自分が大切なオノを泉に沈めてしまったことを打ち明けます。精霊はにっこりと笑い、再びきこりに訊きます。

「このオノのことかえ?」

見ると、精霊の右手には、まぶしいばかりに輝く金のオノが握られているではありませんか。おそらく、一生食べるに困らないお金に換えられるはずの大きさと重量があります。

ですが、きこりは悲しげに首を横に振り、こう答えます。「いいえ、それはわたしのではありません」。そして、悲しげな顔つきはいっそう深まりました。

それを見て、精霊はますますにっこりし、「では、これかえ?」とピカピカに光る銀のオノを見せます。きこりは泣きそうな顔に変わり、首を横に振ります。

「では…このオノかえ?」と、きこりのよく手入れされているけど、素朴な造りのオノを見せます。きこりの顔は太陽がさしたように明るくなり、「ああ! それです! それがわたしのオノです!!」とうれしそうに答えたのです。

精霊も喜ばしげに微笑み、

「この正直ものよ。わらわはお前がいたく気にいった。金のオノも、銀のオノも持っていくがよい」

と言ったのでした。

急にお金持ちになったきこりをうらやみ、真似をして隣に住む不正直者のきこりが罰を受けるとくだりもあり、まるで「花咲かじいさん」のきこり版なのです。

童話に限らず、正直は人を感激させるものと言っても過言ではないでしょう。つい、先日も(しじゅう、って話もあるが)、バクチクのインタビューを見ていた折、インタビューアがドラマーのヤガミトールさんにツアーにでることについて質問を受けると、

「年々しんどくなります」

との答えに、ワタクシは「こ、この正直者…」と泉の精霊よろしくつぶやき、ヤガミトールさんがバンドについて、

「究極の水商売ですから!」

とおっしゃるに当たって、金のオノも銀のオノもレアメタルのオノもすべて差し上げたいと思うに至りました。

ではまた!

↓どんどこどん


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異常な愛情、バクチク。終章。 [音楽]

そろそろバクチクも終わりにしませんとね。

ネタが尽きるといことでは無論なく、このまますすめますと、最近の今井さん(ギター)は墓から掘り起こした死体みたいな顔色だったとか、IN HEAVNのN〇Kの映像であっちゃん(ヴォーカル)が雪山でもないのに今井さんを保護するように抱きしめるのはなぜかとか、ファンクラブに入ろうとしてロー〇ンで端末操作していてバクチクのおどろおどろしい画像が出て赤面し狼狽しまくったとか、バイト先で「バクチクの悪口言ったら殺す」と凶暴にカミング・アウトしているとか、およそだらしくなく書き綴ってしまう危険があるからでございます。

人間、何事にも引き際が肝心、といことでございますからね。

とはいえ、引き際を思い通りにできないのも、人間の運命でしょうか。なかなかパスカルの言うように「人間はだれでも死刑囚と同じ身分にある」という事実を日々忘れて暮らします。

今回の震災はパスカルが看破した事実を否応なしにわたしたちの鼻先につきつけました。いいえ。今も刻々と生き物の時間の針が止まるのを速めるものが、存在しています。確かに半径ウンキロメートルから離れれば、大丈夫なのかもしれません。けれど、そこにいれば、確実に死ぬ。防護服を着ていたとしても死ぬ。

死の影はわたしのなかにさしこまれ、居座りました。この影をひきはがして残りの人生を送るほど、若くはない。これは生涯つきまとうことでしょう。あくまでも死の影で、死の衝動ではありませんが。

震災の前と後では、自分は分断されました。体験がその後の自分を圧倒的に変えることとしたら、不謹慎にもきこえるかもしれないですが、童貞や処女を失う体験がそれに近いんじゃないでしょうか。

新しい自分には新しい支えが必要で、それがバクチクだったのです。

なぜなら、死の影とともに、強烈に意識したのは、もののあはれでした。自然の脅威の前には、人間が築き上げたものなど崩れ、腐りゆく。喪失感というより、強烈な既視感。世界がはかなく、ゆらぐものなのを心のどこかで知っていた。

バクチクを聴いていると、既視感は強まります。デカダンな匂いもまとっていますが、より強く香るのは、もののあはれです。至高であったはずのロマンスは、腐りゆく、跡形もなく消えていく、と歌われていると、いっそう。震災後にバクチクはこの既視感の確認のためにやってきたと思えるほどです。

また、バクチクは闇や下方への嗜好を隠さず表現しています。

闇=病み

ならば、闇=病みがやがて死を連れてくる。今回、圧倒的な闇が世界を覆うのを目撃しました。けど、光あるところには、闇が生じる。さかしまに考えれば、闇のあるところに光もまた訪れる。

震災後今こうして生きていることの不思議さを感じます。死の影がつきまとい、はかなさの既視感を覚えつつも、この身は今も生きている。生きていれば夢をいだき、夢をかたちにすることができる。光へと手を伸ばすことができる。闇=病みを見据えることで、世界をトータルに理解し、すべてをいろんな形で肯定できるようになるとすてきですね。一見負に見える、死や闇などのさかしまな志向がより深く肯定につながるなら、世界は豊かさと幅広さを保ち続けるでしょう。

闇を豊かに表現したバクチクは、わたしの人生の伴走者、あるいはミューズかもしれません。ただ、闇だけではなく、飛翔への意志も散見され、ますますもって豊かです。

とまあ、赤裸々なまでの愛情告白を終えたいと思います。

ではまた!(この項終わり、ただし、番外編あり)

↓雪山遭難もどき

↓闇だけじゃないよ


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異常な愛情、バクチク。ペンタゴンの魅力。 [音楽]

ある事情に迫られて、数字について調べる体験がございました。

まったく、数学で赤点もらったワタクシがなんの因果で数字を見つめ直す作業をするとは。

半ば自ら(テーマは自分で決めてしまった…)を呪いながら、調査していきますと、なかなか興味ぶかいものがあります。やはり、およそ人間的なるものは無縁ではないし、知ろうと接するとなかなか面白いものになっていくものでございますわね。

そんな中で出会った驚異の本が「ぼくには数字が風景に見える」(著者:ダニエル・タメット)でした。著者のダニエルさんは、数学と語学にとびぬけた才能をお持ちです。特異な才能、と言ってもいい。タイトル通り、彼には数字は風景であり、複雑な数式も一瞬で答えが「見える」サヴァン症候群。同時に、彼は人とのコミュニケーションには困難が伴う、アスベルガー症候群でもあるのです。彼は、円周率をてんかんの基金のために下二万桁を暗誦するという偉業をなしとげ、日本でもTVで放映されたので知っている方もいらっしゃるでしょう。

本では、彼の生い立ちや円周率がどのように「見える」かのイラストも載っていて驚きの連続です。

この本のことをある場所で話し終えて、周りにいる方々と雑談して、果たして数字をどう感じるか、という話題になった折、わりと色(19は紫だね、とか)や感覚(冷たいとかぬくもりがあるとか)を覚えるとの感想をもらいました。また、音に色を感じる方もいらっしゃいますよね。いわゆる、感覚が限定されないで、いろんな感覚が感じられる、共感覚です。

ワタクシ自身はそういう体験はあまりないので、新鮮な驚きでした。とはいえ、雑談した方々からは「ぼーっとしているから気付いていないだけじゃないの」というニュアンスで否定されたような・・・?!

では、あくまでもワタクシにそのような感覚がないものと前提してお話しを進めますが(?)、共感覚の人にとって、バクチクの音楽はどのように感じられるのでしょうね。ないと思われる(しつこい)ワタクシでも、「Mona Lisa OVERDRIVE」のハードなナンバーを聴きながら、街を歩いていると、さまざまな色と形が意識に切れ切れに浮かんでは消えていきます。「21st Cherry Boy」の打ちこみの音が交互に耳にピコピコ刺さる時、肌がむずむずしてきてたまらず・・・つまるところ、バクチクは非常に、

内臓直撃

の音楽といえます。脳も内蔵ですけんのう。

ゾクゾクするような内臓直撃の音楽の魅力の根源は、到底あかしえないかもしれない多層に及ぶと思われ、ワタクシの手に負えないのですが、メンバーが5人という数字が意外とキーになってくるのではないでしょうか?

偶数の4だと、まとまる感じがいたします。そこを踏み越えて、一つ数が増えることで生成される何か。不安定さでもあり、新しいものが生み出される予感もします。図形的にも四角は安定感がありますが、五角形は安定が破られた、突出の形。そのゆらぎが攻撃的にも、魂を慰撫するような展開をも呼び起こすかもしれません。

まさに、ペンダゴン(五角形)の魅力。

かといって、攻撃しないでくださいね、指導者が殺されたばかりの方々!標的じゃありませんからね。

ではまた!

ぼくには数字が風景に見える

ぼくには数字が風景に見える

  • 作者: ダニエル・タメット
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/06/13
  • メディア: 単行本

↓意識が天空にぶっ飛びます。


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異常な愛情、バクチク。詩人の血は今日も流れる。 [音楽]

「赤毛のアン」はわりと大人になってからの読書体験でしたが、読みだすとはまっていました。アニメも面白かった。

「赤毛のアン」の初期の本だとおもうのですが、アンがお話し作りを仲間内でしようと試みます。そうすると、アンの親友ダイアナは登場人物を死なせて(つまり殺して)話を終わらす、というか、そうしないと終わらない…。

ダイアナは殺伐とした精神の持ち主ではなくてむしろその逆です。ストーリーを作る上で、遭遇しがちなパターンといえるのではないでしょうか。あとは夢オチですね。

死と夢。物事の終わりには、そうしたものが待ち受けているから、ダイアナも含め、物語を作ろうとした時、そちらに導かれがちなのでしょう。物語を作る上で、避けて通れない。そこで、表現者の腕を見せるとしたら、どう工夫するか。

つまりはどうヴァリエーションをつけるか、でございますね。

バクチクの場合、音楽は豊饒で変幻自在なスタイルで目まぐるしいばかりですが、歌詞の世界はざっくりと二つのパターンに別れるのではないでしょうか。歌詞を二人の人間で作っているがかなり影響している。

今井さん(ギター)の歌詞は、炸裂したイメージが次々に展開し、ハイ・スピードで変容する意識がとらえた瞬間瞬間をつぶてのような言葉に変換していくような凄みがあります。音楽と相まって、こちらの意識が鋭敏に点滅し、思い出す文章は「凍てついた一瞬、あらゆるフォークの先に刺さったものをみんなが見る」。この文章の出所は、あまりにあまりにベタなので、あえて言いません。てか、言えません。というのも失礼なので、W・Bさん、と言っておきますか。

対照的なのが、あっちゃんの歌詞。短く限られた歌詞のなかで、独特のストーリーがあります。そして、ストーリーのあるところに、抒情もたっぷりと。ダイアナより格段に(当り前だ)、洗練された形で死と夢(はかなさ)にむかうストーリです。洗練には、ヴァリエーションが大切になりますが、ここでは、変身がキーワードになっていくのではないでしょうか。

終わりは決まっている。よろしい、では、何者にでもなろうではないか、という潔さで、女装したり、道化師になったり、エロにおぼれたちと、枚挙にいとまがないほど、でも節操無いわけではなく、一貫したイメージがあります。なにせ、終わりは死と夢です。バーベル持ち上げる瞬間脈拍が「140」まであがる

重量あげの選手に、

あっちゃんが化けて歌を奏でるというのは考えいにくい。

重量あげはともかく、さまざまの変身をとげるごとに、詩人の血は流れる。血は地表を染めるのではなく、ファンの乾いた喉を潤す気がしてなりません。

ヴァンパイアはむしろこちらの方だったのですね。

ではまた!

↓これも大変身。


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(前略)異常な愛情(中略)バクチク(後略) 中休み・CD狂騒曲 [音楽]

映画「エレン・ブロコビッチ」で、シングルマザーで失業中で八方ふさがりの主役のエレン(ジュリア・ロバーツが演じています)が、引っ越してきたヘルス・エンジェルのようなおにいちゃんに電話番号を聞かれて答えたシーンを覚えていますか?

英語だと、電話番号はテレフォン・ナンバー。やけのやんぱち気味のエレン(なにしろ世の中の一切合財の不幸が頭上に落ちてきた瞬間です)は、こう言い返します。

「ナンバー、ですって? いまのあたしにとってナンバー(数字)って言ったら、16ドルしかない通帳の残高しか思い浮かばないわ」

大分前に観た映画なので、ディテールの記憶違いは若干あると思います。

さて、この問いをワタクシ自身に投げかけて見ると…。

「ナンバー、ですって? いまのあたしにとってナンバー(数字)って言ったら」と、ここまでは同じですが、

「バクチクのCDの数よ。17枚…」

と答えることでしょう、あうう。音源的には、ベスト盤はないので、あと三枚揃えればほぼ(シングルのみのアルバム未収録はのぞくとして、今のところ)そろいます。ライブ盤ものぞきますが。しかも、あと三枚もiTunesにはレンタルや某市立図書館で借りてインストール済…。

某市立図書館はすごくて、借りた「COSMOS」以外に、すでに入手していた「Six/Nine」も置いてあった。しかし、このもだえるようなタイトルのアルバムを図書館員は受入業務時にどんな思いで入力作業をしたのであろうか…。

今回の震災で、バクチクのヴォーカル、あっちゃんは「僕達のために大事に貯めていてくれていたお小遣いがあるならば、どこの窓口でもかまいません、ほんの少しでも分けて頂けたら」とメッセージを寄せているのにこの体たらくとは…。

でも、でも、寄付もしているし、寄付の告知もボランティアでしているから、許してくれ、あっちゃん。いや、バクチクのみなさん。

そうです、悲しい数字がこれ以上出ないように。希望が実感できる、手ごたえある数字をみんながつかめるように、わたしなりにささやかな思いと行動は続けるから。

ではまた!

エリン・ブロコビッチ コレクターズ・エディション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD

 

 

↓これももだえる、とりわけミルク


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(前略)異常な愛情または私は如何にして心配するのをやめてバクチク(以下略) 死と戯れる編 [音楽]

何かを表現する時、詩とか小説とか歌とかには、むきだしを恐れてか、型があります。詩なら短歌なら31字とか。その制限もしくは形式が、表現にこめた荒々しいまでのものを時にはおさえてそれゆえにしみじみと感じさせ、時にはより強く訴えるものですよね。

ですが、今回のワタクシのこの文章のように、あけすけな、それでいてロシア皇女のようにすきまなく言葉で着飾って突進するような、ひたすら「好き」に向けて表現するのは、どこまでもみだらで赤面する行為のように思えます。

もっとも、表現というのは、みだらなものと縁が切れないものでもございますね。

みなさまはいかがでしょうか。表現が触れて、どうしようもなく恥かしくなったことはございませんでしょうか?

バクチクの音楽と歌詞には、ロックのお家芸とも言うべき、みだらな曲や歌詞はわりございますので、そちらの方面で法悦を得たい方にはぴったりです。とりわけ、食べ物を使った「たとえ」は種類もイメージの爆発的な喚起力も抜群に豊富ですから。それに加え、いかがわしさ倍増に加担する、音やリズムの粘り具合やヴォーカルのどこまで低く出せるんだ!と思う低音や表現力も忘れ難いものがありますし。

とはいえ、今回バクチクがワタクシに触れたのは、そっち方面ではなく(まったくないとは言えない)、タイトルにもありますように、

死と戯れる世界が

ワタクシの御意(って自分で言っていいのか)にかなったのでした。

歌詞の深読みだけではなく、「RAZZLE DAZZLE」の初回限定版(なぜか買っている…)のお楽しみのおまけのDVDのインタヴューであっちゃん(ヴォーカル)の「死が個人的なコンセプト」との発言からも喚起されたことではありますが。

光あふれる日なたにいながら、濃い闇を間近に感じて生きること、死が「べったり張り付いている」人生に、同情?いいえ。同意?それは少し。少しの同意ながら、「誘惑」や「ROMANCE-Incubo-」にうたわれる、死を恐れるばかりではなくむしろ憧憬にちかい視線でとらえた歌詞にはねたましさと懐かしさを覚えました。妬心は、自分がいつか見ていた世界をやすやすと表現された悔しさゆえかもしれませんね。

個人的には死の戯れから遠ざかっていたせいか、懐かしさ、を覚えました。現実の死の、口のなかに泥をつっこまれた感じをひとたび覚えると、死の衝動から多少なりとも足を洗っちゃうものですね。時間はけっこうかかりますが。

死と時に甘美に戯れるバクチクは、世界が多層的で不安定であることをうなずかせてくれる闇の魅力を持ち、コアなファンを惹きつけ魅了してやまないのでしょうね。

とはいえ、バクチクをスマホに落として聴きながら、本屋を歩いてますと、急に貧血になってあやうくひっくりかえりそうになってしまいました。本屋、ことによったら母親の胎内(自分の母の場合、騒々しい気がしないでもない)ほど落ちつく場所で、この不始末。バクチクはもしかしたら、音楽で失血に及ぶ

ヴァンパイア

なのかもしれない、と確信するに至ったのでした。ああ、エドワード(すでに混乱している)。

ではまた!

↓ヴァンパイア・チェックは以下まで。

 


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〇〇の異常な愛情または私は如何にして心配するのをやめてバクチク(以下略) キッカエ編 [音楽]

しかし(いきなり接続詞から始めてしまった)、長いな、この通しのタイトル。

あ、もちろん、元ネタはあるんですけどね。

さて、淫するがごとくバクチクざんまいの日々を送っておりますが、もともとのキッカケをお話ししたいと思います。

実は音から入ったのではなく、わが敬愛する作家、三浦しをんさんのご著作がはじまりでございました。三浦さんは、ウィキメディアのバクチクの関連項目に、城咲仁さんとならんで併記されるほどの熱烈なファンでございます。最近のエッセイにも、バ〇チクの夢を見た、という記述がありました。

つまり、夢に見たことを文章にしてしまうほどの熱狂ぶりなのですね。

エッセイを読むうち、「そんなに三浦さんがよいというなら一度聴いてみよう」と考えるのは、人情というもの。さっそく行動に移したのですが、確かにいい意味でのひっかりがある。スマホに落として、バイト先に向かう途中も鳴らしたりしていたのですが。

借りたのがベスト盤で初期作品が多いため、「やはり80年代はキラキラした音つくりだったんだなー」などと思ったのも事実でした。「ICONOCLASM」など、音が多層的でリズムも面白い。加えて、ヴォーカルの加工具合、ゆがみさ加減には吸引力がものすごくある。「M・A・D」の神経症的な歌詞の世界とそれを支えるリフとリズムもまたいい。

そのあとに聴いたアルバム「極東 I LOVE YOU」の中の曲「Long Distance Call」をとある事情で関わりを持つことになったのですが…その確かな歌唱力と表現力と曲全体の美しさがとある事情にぴったりと合い、その偶然の調和に身震いしたのです。

なんてことを感じている間に、いつしかバクチクの力強い手につかまれ、あえなく虜となっていったのでした。

ですので、次回からは余すことなくバクチクの魅力を語りたいと虎視眈眈とたくらんでおります。

とはいえ、ワタクシとて、最初に借りたベスト・アルバム「BT」のブックレットで初期のバクチクのお姿を見て、つい、

「出たな、妖怪、叩き切ってやる!」

と言いそうになったことも告白します。80年代のオシャレってとんでもなかったのですね。

ではまた!

博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか [DVD]

博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか [DVD]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD

↑ 最近のPVなら、妖怪騒ぎにはならないはずです。たぶん。


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若杉弘さんを悼む。 [音楽]

指揮者の若杉弘さんが亡くなりましたね。

まだ学生の頃、兄に連れられて、ヴァーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死、休憩をはさんでマーラーの五番というある意味怒涛のプログラムでお姿を拝見しました。

当時(まあ、今もか)我が家はわりと偏った志向で、モーツアルトは発表されているケッヘル番号すべてそろえていても、ブルックナーは見当たらない、という構成でございました。

ゆえに、それまでの音楽傾向を脱皮しようとした兄がいなければ、上記のプログラムの曲は耳にしたことがなかったのですね。

耽美。という言葉がぴったりの、らせんのように旋律がめくるめくように展開する曲に魅了されたのはいうまでもありません。

晩年、若杉さんは評価がいまいちだったようですが、このときは若いワタクシの魂を暗く甘美であやうい世界にいざなうにふさわしい指揮ぶりでした。

新しい扉を開いてくれた感謝とともに、改めてご冥福をお祈りします。

演奏会では若杉さんの指揮姿も印象的でした。クレッシェンドのときに、それはみごとなまでにしなやかに後ろへと

のけぞり

をしていたのですから!

音楽に酔いしれながらも、

体操ニッポンのフィニッシュが決まった瞬間

みたいだな~、とつい思ってしまったワタクシでした。

ではまた!

マーラー:交響曲第1番「巨人」

マーラー:交響曲第1番「巨人」

  • アーティスト: マーラー,若杉弘,シュターツカペレ・ドレスデン
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1995/10/21
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ガムラン、バリ舞踏、あるいは駅内放送。 [音楽]

これまで知らなかった世界の扉を開くのは、いくつになってもうれしいものでございます。

それは、ガムラン、バリ舞踏の世界。

fuuさんのお誘いを受けて、3/13、「トゥラン・ブーラン*エフ」の公演に行ってまいりました。

バリのガムランは他の方からもいろいろ聞いており、「知識」としては知っていました。

ですが、百聞は一見にしかず。この場合は一聴にしかず、とでも申し上げたらいいでしょうか。

一言でいえば,

開け放たれる音、

そんな感じがいたしました。

音のうねりもありますし、舞踏が加われば、力強いステップとも相まって、ビート感も加速します。ですが、のびのびとした清明ささえ感じる楽器たちが奏でていく透明感ある音楽は、うねりながら上昇して、ポンっと軽く、広々とした場にわたしたちをのっけてくれる解放感があります。

素晴らしい体験でした。

そのような気分に浸りながら、帰路をたどるワタクシたち。

新宿駅で乗り換えするため、山の手から降りたワタクシたちの耳に、駅内放送の声が飛び込みます。それは、

「このへんで~ドアしめま~す」

という、あまり乗客を急がせないのんびりさ加減。ただでさえ、気持ちよくガムランで脱力をしていたのに、追い打ちをかけるような駅内放送でしたが、翌日のニュースに「山の手遅延!」ともないので、まずは平和に電車は進行したようで、なによりでございます。

ではまた!

トゥラン・ブーラン*エフ、ガムランについては下記まで↓

http://motosbulan.exblog.jp:80/


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